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人生とは個人差を受け入れることで前に進むのかもしれない

エッセイ

先日、小学生の水泳教室を開催している最中のことです。子供たちが泳いでいる様子を二階から見学していたおばあさんが受付にいらして、こう訴えたそうです。

「うちの孫はお友達と三人で一緒にプールを習い始めたんですが、お友達二人はもう平泳ぎの練習をしているのにうちの孫だけまだクロールの練習をしています。どうしたらいいですか?」

さぞかしもどかしかったことでしょう。

確かにそのお孫さんはビート板を持ってクロールの練習をしているところなのですが、まだ合格ラインには達していないのです。どうしたらいいですか?とのことですが、お休みせず練習に参加してくださいという返答になりますね。実際にお友達二人は休まず参加しており、やはり練習回数を重ねるごとに上達しているのが分かるのです。どうしたら遅れを取り戻せるのか電話で教えてほしいとのことでした。

正直なところ、個人差は否めないんですよね。この先ずっとお友達と同じペースで進級し続けられるとは限らないわけで、今は遅れていてもどこかで逆転するかもしれない。双子や兄弟姉妹であっても泳力差があり、進級スピードが違うこともあります。それが個人差であり、勉強でもスポーツでも発育においても個人差はあります。けれどそのことをおばあさんに言えば、受け取り方によっては不快な思いをされかねないので慎重に言葉を選ばなければなりません。

考えてみれば世の中のベースは個人差であり個性であり、ひとりひとり違うからこそ自由で面白いのだと思うわけです。個性というものを都合よく使う場合も多くありますが、確かにもどかしいこともあります。自分との違いを目の当たりにして他人を羨むことは、生きているとたくさんあります。それを受け入れながら人々は前に進んでいるんだよなーと思いつつ、けれど日常の中でほとんどの場合は、そんなことを考えもせず当たり前に過ぎている気もします。憧れを持って近づこうと努力することもあれば、ほんの少しずついろんなことを諦めたりもしながら、自分という身体の中で自分の人生を歩む。

他人と比較することが必要な時とそうでない時の区別がつかないと、面白くない思いをしなければならなくなるなと思います。意外と自分のことより子供や孫のことの方が、そわそわしてしまう気持ちはよく分かりますがね。

   

先ほど大食いの動画を見ていましたが、彼らはあんなに食べているのにどうして太らないんでしょうね。肉・ラーメン・ビール・米、どんどん口の中に吸い込まれていました。水を飲んでも太るという中年世代(言い訳)の私には羨ましい限り、あんな風にわんぱくに食べたらソッコーで太って全然戻りませんよ、どうして?何が違うの?嗚呼、羨ましい羨ましい。もどかしいもどかしい。

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